あけましておめでとうございます
いつも防災·減災·三重県人の防災活動を閲覧していただき、ありがとうございます。令和2年も引き続き、たくさんの防災関連情報を掲載したいと思っています。
さて、2020年1月1日には氏神様である「亀山神社」にお参りし、防災活動の躍進が図られるよう、祈願してきました。
亀山神社は「旧亀山城」内にある神社です。隣接する「亀山西小学校」·「亀山中学校」は私の母校です。また、亀山神社のすぐ横にある「ますみ児童公園」は色々な思い出がある場所です。
亀山神社の由緒
延享元年(1744年)、備中国松山(現在の岡山県高梁市)から石川総慶が亀山城に入城した際、城内に小祠を設けて神祭りをした事に始まり、それ以来、亀山城内の旧館跡に鎮座し「真澂(ますみ)神社」として崇敬されてきました。
明治4年に至り城北の若山の地に遷座、同9年に再び城内の本丸跡に遷座し、村社の称号を許されたが、同14年に郷社の列に加わりました。
明治40年から41年にかけて西町鎮座の「郷社·亀山皇太神社」、阿野田村鎮座の「式内社·真木尾神社」などを合祀し、同41年には社殿を現在の地である西丸に新築して奉遷し、社号を「亀山神社」と改めて現在に至っています。
引用資料
▪皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
▪三重県神社庁教化ホームページ委員会
▪平成5年 神社本庁作成データ
亀山城(かめやまじょう)は、別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)と言われています。
文永2年(1265年)に伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって伊勢国鈴鹿郡若山に築城されました。
神戸、国府、鹿伏兎、峯、亀山の各城を居城とする関五家の宗家の居城となっていました。
永禄10年(1567年)の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場となり、天正11年(1583年)には蒲生氏郷が城主、天正18年(1590年)に、豊臣秀吉に従った岡本良勝が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されました。
江戸時代には、幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用。このため、城主居館は二の丸となっていました。
寛永13年(1636年)、城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、天守を失った天守台に多聞櫓が築造されました。
明治維新以降は、明治6年(1873年)の廃城令によって、構造物が取り壊されました。
現在、多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一の遺存例で、現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在です。
本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定。また、二の丸御殿玄関は、西町の遍照寺本堂に移築されています。
平成19年(2007年)4月15日に発生した「三重県中部地震」により天守台の石垣の一部が崩落しました。
崩落箇所は昭和47年(1972年)の台風被害の補修で新たに積んだ部分のみで、江戸時代初めごろに「穴太衆(あのうしゅう)」によって築かれた古い部分には、一切被害はありませんでした。
亀山には、明治維新以降、関西本線と紀勢本線が分岐する 亀山駅があり、鉄道の町として栄えていました。このため大きな機関区があり、たくさんの蒸気機関車の点検整備が行われていました。
戦前天皇陛下が 伊勢神宮に参拝される際には、必ず亀山駅を経由し、お召し列車で向かわれていました。
今から約50年前の昭和45年(1970年)、当時の国鉄から亀山市へ蒸気機関車の贈呈がありました。
蒸気機関車は「ますみ児童公園」へ運ばれ、当時は露天の展示でしたが 、その後屋根が設置され、 現在も大切に保管されています。
50年前私は、亀山西小学校の児童会の副会長をしていました。 このため機関車の贈呈式の受け取りとして、亀山市の小学生を代表し参加させていただきました。
時は更に遡り 、今年89歳になる私の母親から聞いている話では、先の大戦で戦死した私の叔父(母の兄)は、大変優秀な人物で、戦前は「お召し列車の機関士」を務めていました。
仮に、贈呈された蒸気機関車が、その当時「天皇陛下のお召し列車」を牽引し、 私の叔父が機関士として乗車していたかと思うと大変深い感慨を覚えてなりません。
先の大戦では、家族の4名の男子が出兵しました。 母も鈴鹿の海軍工廠へ学徒動員で、亀山から歩いて鈴鹿まで出向いていました。中国大陸に出兵していた2名は、無事に帰国を果たせましたが、2名の叔父は尊い命をお国のために捧げることとなりました。
大正15年生まれの私の父は、徴兵はされましたが既に海外へ出兵派遣される船舶はなく、国内で終戦を迎えました。戦後、私の母と結婚し国鉄に務め、55歳の定年退職まで戦死した叔父の分まで働きました。
さて、時は流れ平成から令和となりました。 昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーでは、私は幼稚園児でしたが日の丸の小旗を振って声援を送った記憶があります。
今年行われる東京オリンピックが安全に開催されることを 願っています。
防災 減災 三重県人 備えあれば憂いなし
追 伸
その昔 小学生の私は、ますみ児童公園のジャングルジムから落ちてしまい 肋骨を折ってしまいました。
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